Episode2

 

湖上の町 〜沖島〜

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蓮如ファンなら、ぜひ訪れたい御旧跡


左の建物が、旧局舎


「琵琶湖の中心で・・」というコメントを思いつくが、ボツに


島の道。完結した世界


沖島小学校

 

 

 

 

 

 

 沖島の歴史をハイライト的に見ると、主な出来事は三つある。まず藤原不比等が奥津島神社を建立し、この地を航海の安全を見守る神の島としたこと。これが、8世紀初頭。次に、保元・平治の乱に破れた落武者が漂着したこと。これが、12世紀。従って今の島民は、一説には清和源氏の末裔なのだそうである。そして15世紀には、蓮如上人が流れ着き、真筆を残している。これが、三つ目である。これだけそろえば、上等である。

 そのうち蓮如上人については、港の近くでさっそく史跡を見つけることができた。写真の石碑がそれであって、「蓮如上人御旧跡」とあるからには、この辺りに蓮如上人が住んでいたのだろう。お顔は存じ上げないが、上人がガラス窓の前あたりに立って、法を説く様が目に浮かぶ。五木寛之氏も、ここに取材しに来たかもしれない。

 想像力の翼を懸命に羽ばたかせつつ、次は奥津島神社へと向かう。歩き出して間もなく、沖島郵便局を発見する。湖上の島では日本で唯一の郵便局であり、恐らく郵便局マニア(この世の中には、そう言うジャンルがちゃんとあるのです)憧れの場所に違いない。現郵便局舎の隣には、旧局舎らしいぼろぼろの建物があり、今は亡き「専売塩」の取り扱いを示す「塩」の琺瑯看板が実に似合っている。
(ちなみに、ミシガン湖には湖上郵便局というのがあるそうですが、こちらはボートだそうです)

 島の道は、とにかく狭い。限られた土地に、民家が密集しているのだから当然ではある。迷路に迷い込んだような不安を感じつつ、しかし間もなく、神社への石段を発見する。何分も歩いていない。やはり、小さな町である。

 沖津島神社自体は、社殿が真新しかったりして、さして興味を引くものはなかった。とりあえず、拝んでおくことにする。しかし、場所が若干高台にあるので、眺めは良い。我々はここで昼食を取ることにして、持参した弁当を開いた。この時ばかりは本当に黙々と、湖の静かな風景を眺めつつ、ゆっくりと過ごす。こうしていると、観光とか名所とか、そんなのどうでも良くなってくる。普段とは違う場所にいる、ただそのことこそが大切なのだ。

 島にある町の面白さは、小さいながらも完結した世界を持っている点にある。山あいの盆地にあるような町にも似たようなことが言えるのだが、水によって隔てられた島のほうがより完結性が強く、ある種の緊張感さえ感じさせる。衛星都市やベッドタウンと呼ばれるような町とは、対極に位置する存在なのである。そういう点から見ると、学校の存在というのはやはり大きい。完結性の、一つの象徴だと言っても良いだろう。

 と言うわけで、次に見ておきたいのが沖島小学校だ。なにしろこちらも、湖上で唯一の小学校である。なまじっかな観光名所よりもずっと興味深い。もちろん学校であるから、本来よそ者が面白がって訪問すべき場所ではない。従って、迷惑がかからないように外から眺めるだけになるかも知れないが、それでも行ってみたい。

 小学校の場所は、港の周辺からはちょっと離れていて、往復1キロほどの距離がある。ゆっくりしすぎたせいか、思ったよりも帰りの船までの時間がなくなってきており、我々は狭い島の道を、小学校目指して一路歩いた。もっとも、道が一本しかないこの島では、「一路歩く」以外に選択肢は存在しないわけではある。

 若干距離があるとはいえ、やはり小さな島である。愉快な会話を交わしたり、サンガリアの「ウィスパー」(昭和の頃、関西方面では一世を風靡したジュースである。最近は見ないが、なぜかこの島のあちこちにある自動販売機で売られていた)を飲んだりしつつ歩くうち、間もなく小学校に着いた。特に外来者を拒むような雰囲気もなく、校舎のすぐそばまで近づくことができる。

 しかし、予想していたのとはかなり違っていた。古びた木造の小さな校舎とか、要するに「二十四の瞳」的な情景を勝手に想像していたわけなのだが、実際には小さいながらもかなりきれいで、立派な造りの小学校だった。近江八幡市もなかなか太っ腹であるが、つまりは、この島にはまだまだこれからがあるのだと、そういうことなのだろう。過去の島、終わってしまった島では決してないのだ。ここからは、未来がつながっているのである。育っていく彼らが清和源氏の末裔なのかどうか、それは判らないが。

 港に戻り、帰りの船に乗る。愉快Cは、土産の佃煮を手にしていた。まだこの後も日程があるのだが、せめてここからは好きなだけ内輪ネタで盛り上がりたいものである。だからここで文章は終わり。さらば、沖島よ。

(後記)
 前回に続いて、
国土交通省による昭和50年頃の航空写真です。左下辺りの、島がくびれている部分が港近くの中心集落です。当時はまだ埋め立て前らしく、「何もない平地」というのがほとんど見あたりませんね。(こちらは、国土地理院による、現在の地図)

 次回(Episode3)は、
東海道とクリスマス 〜有松〜」です

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